安静中、実母のこと
私の母は今年の2月、肺がんにより亡くなりました。私が大量出血により入院となった半月ほど前のことで、私は自宅安静を余儀なくされていた時期でした。
私の実家は京都で、今住んでいる三重からは1時間半ほどで帰れるのですが、そんな状況であまり顔を出せていませんでした。
5年ほど前に肺がんで余命半年と言われてから、脳やリンパに移転しつつも諦めずいろいろな治療をしたのが功を成し、母は医者も驚くほど元気になり、仕事や趣味、旅行などかなりアクティブに過ごしていました。
昨年末あたりから体調が良くない日が続いていることは知っていましたが、今年1月には父とハワイに行き、亡くなる4日前まで小学校の教師として教壇に立っていた母なので、また元気になるだろうと誰もが思っていた矢先のことでした。
父から母が意識を無くしたと連絡を受けてすぐに京都に向かいましたが、着いたときには既に意識は無く、辛うじて生きている状態…
母のそんな姿を見ながら、切迫流産でなければ、絨毛膜下血腫さえなければ、もっと会いに行ってたら、そもそも私がこんな弱い身体でなければ、、、
たくさんの “ たられば ” がのしかかってきて苦しく、涙が止まりませんでした。
2人目の妊娠が分かってすぐに母に報告していたので、誕生をとても楽しみにしてくれていました。無事生まれるよう毎日神様にお願いしてるよと、いつも言っていました。
命は永遠ではないから、家族も、友人も、自分も、そしてお腹の赤ちゃんも、いつ何があるか分からない。何かが起こったとき、できるだけ後悔しないような選択、生き方をしていきたいものです。
母を亡くす辛さは言葉では言い表せませんが、私も『母』なので、母のように強く明るく前向きに生きたいと思います。
お母さん、ありがとう。
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